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平野の町づくりを考える会の情報につきましては、全興寺のサイトをご参照ください。
(2022年12月30日)
私たちが「平野」と呼んでいる場所は,大正時代まで「平野郷」(正確には「平野本郷」)と呼ばれていた旧市街.現在の大阪市平野区の中心部に位置する,約1キロ四方の小さな地域です.かつて環濠自治集落としてその名を近世史に残した同地区には,戦国時代に作られた環濠の跡が2箇所に残り,環濠内部の町割りも江戸初期のものがそのまま残っています.また,経済的にも豊かな地域であった平野は,文化的にも先進の地域でした.庶民がつくった学校としては日本最初の「含翠堂」(→含翠堂講座)が建てられ,連歌(→平野連歌)などの活動も盛んに行われました.地車(だんじり)で知られる杭全神社夏祭をはじめ,様々な伝統行事が,かつての地域文化を今に伝えています.
そんな地域の歴史を,市民運動の中で再認識し,これからのまちづくりに生かそうと活動しているのが私達のグループ「平野の町づくりを考える会」です.「考える会」は,地区内に始発駅を置いていた南海電鉄平野線が,阪神高速道路と市営地下鉄の延長にともなって廃線となった際,平野駅舎の保存を求めて行なわれた住民運動を契機に発足しました.駅舎保存は実現しませんでしたが,当時形成された人々の連帯は,その後20年余にわたるまちづくり運動の継続として実を結びました.交通環境の整備が当該地区と大阪都心部との距離を短縮し,ベッドタウン化を加速させたことを考えれば,都市化傾向の端緒と時を同じくして「考える会」の発足があったことは象徴的であったと言えるでしょう.
「考える会」にはその組織と活動理念に関してユニークな特徴があります.組織については,「会長なし・会則なし・会費なし」の三原則を掲げ,様々な背景を有する人々が個人の資格で緩やかに連帯する,というネットワーク型の形態を維持している点に特徴があります.また活動理念については,「おもしろいことをいい加減にやる」をモットーに,自分たちが本当に興味を持って取り組めるテーマを厳選し,ひとりひとりが持続可能なエネルギー配分で取り組めるようお互いが心掛ける,という点に特徴があります.行政とも常に一定の距離を保ち,住民主体のまちづくりにこだわり続ける「考える会」の姿勢には,まちづくりに対する明確な目的意識があります.時間はかかるかもしれないが,ひとりひとりが本当に自分の気持ちからまちづくりに参加し続けられるような下地を育んでゆこう,というのがこの会の活動の核心的な部分です.いわゆる経済効果をねらった「まちおこし」とはある意味で対極な位置にあると言えます.しかしながら,この会の中で育まれた地域を核とした人間のつながりは,しばしば「まちおこし」的な活動を成功させ,結果的に地域活性化を果たすことになっている点は,外から見ても中から見ても痛快そのものです.
「考える会」のこうした特徴が顕著にあらわれている活動のひとつに「町ぐるみ博物館」があります.1993年にはじまったこの運動は,地区内に自宅や職場などを開放したミニ博物館を展開することによって,まず博物館に関わる住民自身が,来訪者とのコミュニケーションを通じて地域のことを学習し,地域への愛着を深めて行こうとするもので,2003年5月現在15の博物館が運営されています.博物館を運営しながら地域を楽しむ館長の姿を見て,「なんかおもしろそう,わたしもこんな風に楽しんでみたい」とか「自分ならこんなことができるかも」という共感の輪が大地に水が染み込むように広がってゆく,それが大切なのです.毎月第4日曜日に開館する常設館に加え,臨時の博物館を募った試み(1999年7月)においては,実に100館の参加を得ました.「町ぐるみ博物館」がゆっくりとではあれ確実にまちづくり運動を地域に浸透させる役割を果たしている証拠です.また,大阪市と地域住民とが協力して歴史的景観の保全などを行う「平野郷HOPEゾーン計画」事業をはじめ,国際交流を含む様々な外部との共同プロジェクトにおいて,小さくとも人のつながりを何よりも大切にして地道に積み重ねられた「考える会」の人材ネットワークは,地域住民サイドの結束力・行動力の大きな源泉となっています.
写真提供:平野の町づくりを考える会
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